
ヴァナの起源は古く、仏教成立(紀元前六、五世紀)以前のインドの聖典『アタルヴァ・ヴェーダ』にラクシャス(要鬼)の主として登場し、後の叙事詩『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』では、ヴィシュラヴァス神の子でクベーラと名付けられ、財宝や福徳を司る神へと転じ、夜叉や羅刹を統括し、雪山(ヒマラヤ)の北の聖峰カイラーサに住む北方守護の善神とされた。ところで、このクベーラなど古代インドの方位を守る神日護方神は一般に天部像(十ニ天)として仏教へ取り入れられるが、初期仏典の中では早くから四方神として四天王が成立し、東方は持国天(Dhrtarastra)、南方は増長天(Virudhaka)、西方は広目天(Virupaksa)、北方は多聞天(Vaisravana)と説かれる。これらは、多聞天=クベーラを除いて正統なバラモン教やヒンドゥー教の四方神(インドラ、ヤマ、ヴァルナ等)と異なり、四天“王”の名があらわすように、一群の精霊的な神々の首長=王なのである。すなわち、持国天は楽天であるガンダルヴァ(乾闥婆)の王、増長天は大きな睾丸と腹をもった鬼神であるクシバーンダ(鳩槃茶)の王、広目天は蛇の神であるナーガ(龍神)の王、多聞天は畏怖と慈恵の精霊ヤクシャ(薬叉、夜叉)の王とされる。このように、仏教の四天王は八部衆とも関係するインドの上着的な神々に出自が求められる〔注?〕。
さて、ヤクシャの王クベーラに由来する多聞天=毘沙門大が最初にその姿を私たちの前に現すのは、紀元前一〇〇年頃の制作とされる中インド・バールフトのストゥーパ(仏塔)を囲む欄楯(玉垣)の隅柱に彫られた像である(図?)現在カルカッタ・インド博物館に復元されているが、もとは北入日にあったものでブラフミー文字でクベーラ・ヤクシャ(Kupiro Yakuho)と刻まれ、毘沙門天の北方神

?法隆寺金堂四天王像中多聞天立像

?東大寺戎壇院天王像中多聞天主像
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